一ノ瀬泰造写真展+劇 母はもう一度、泰造を産んだ 感想 横木安良夫

7月23日午後7時、雨の渋谷、明治通りを恵比寿に向かって歩いた。
一度は通り過ぎたぐらい目だたない場所、通りの反対側のスターバックスが唯一の目印だ。
エレベーターに乗り6階?で降りるとすぐに受付があり、すでに観客が座っていた。

さほど広くない薄暗いギャラリー。黒い壁に、8x10ぐらいの写真がぐるりと壁を埋めている。
ほとんどが泰造のお母さんが実際にプリントした写真だ。
すでに劇の開始をまつために薄暗くなっているのだった。
壁を背にして観客は丸い椅子に座りギャラリーの中央を空けて劇が始まるのを待っている。

7時10分過ぎに劇が始まる。照明はさほどかわらず、赤いランプが強弱を繰り返す中歌が始まる。
出演者五名、音楽はなく若干の効果音だけのシンプルな劇だった。
五人が交互に連なり、あるときは重なるように、台詞で劇は進行する。
暗室でプリントする母。そして戦場で生きている泰造。母は泰造と会話をする。
しずかで日常的な、それでいて神秘的に何かを産み出す闇の部屋。
それにひきかえ泰造の生きている、戦争の高揚した、非日常。
機関銃のように重なることばが、映像では表せない、泰造の生きる戦争を体感させる。想像させる。
モノクロームのようなシンプルな劇。

母にとっての泰造。成長途中だった泰造は、成長の途中で死んでしまった。
母はそこからあらたに泰造を生み出した。泰造を産んだ。
今の泰造は母の生みだした泰造かもしれないが、泰造の残した2万コマの写真と会話する母が、
泰造に生かされているのかもしれない。

一ノ瀬泰造の写真を見るだけではなく、劇も見ることによって、
泰造と母との関係をより体感して欲しいと思う。
シンプルな劇の強さに感動した。終わり方も素敵だった。

横木安良夫