ALAO YOKOGI PHOTOGRAPHS 2

[HOME] [index] [photographs]

EPISODE

1  JUN.1995 Dikanyama Shibuya Tokyo
 アサヒカメラのnude特集のために撮りおろした作品だ。
 この写真は表紙に使用された。
 モデルは藤原美憂。当時僕は彼女を何度も撮っている。
 身長は155センチと小柄だけれど、顔が小さく抜群のプロポーションをしている。
 そのころ代官山にあった僕の事務所での撮影。
 ライティングは東向きに開いた窓からの、午後の柔らかな自然光だけ。
 フィルムはベルビア120をプラス2段半増感。LBA2フィルター使用。
 増感することによって、粒子は荒れるが、トーンが揃い、
生々しさが消え自然な雰囲気になる。
 カメラはマミヤRZ67、レンズは110mm標準。絞り開放で15分の1秒で撮影。
背景は、ブルーの紙バック(セットペーパー)。
Hair&Make MASAYUKI SHIRAKAWA

[HOME] [index] [photographs]


2  JUN.1995 Roppongi Minato-ku Tokyo

No.2-5までの撮影はすべて、前出のアサヒカメラの口絵のために特写したもの。
 この撮影はとても特殊な撮りかたをしている。
 それはライティングとして懐中電灯を使用しながら
長時間露光をしているということ。
 この撮影方法は1986年に、ナイトフォト(夜の長時間露光撮影)
 をしていて、突然思いついた。
 僕はカメラのフレーミングの中に入り、対象の至近距離から
 ゆっくり動きながらライトを照射する。
 この場合露光時間は約10秒。
 カメラの画面に入っていても僕は動いているのでフィルムには、
 ほとんど写らない。
 その間モデルはじっとして動かないので、画像は定着する。
 薄明りのした、ゆらゆらとライティングするので、
 「TWILIGH TWIST」という洒落た名前をつけた。
リンホフテヒニカ4x5 スーパーアンギュロン65mmf8
使用フィルム、ベルビア +1増感
Hair&Make MASAYUKI SHIRAKAWA
Stylist YUSUKE MIZUNO


 以前、全日空「ら九州」のポスターをこの方法で撮影したことがある。
この撮影はとても大がかりで一回30秒〜120秒ぐらいかかっている。
使用カメラ、マミヤRZ67 マミヤセコール110mm
ベルビア
AD KOJI YANAGISAWA
Hair&Make up MIHO DOBASHI

[HOME] [index] [photographs]

3 JUN.1995 Roppongi Minato-ku Tokyo
  撮影場所は六本木の、ある有名なアートディレクターの事務所があるビルの屋上。
 No.2,3,4は4x5のデーライトフィルムを使用している。
 長時間露光によって空がグリーンがかっている。
 ビルの縁にモデルを横たえて撮影していたら、向かいのビルの人達が気がつき
 皆、窓に張り付いて眺めていた。下に見えるのは首都高速道路。
撮影方法は、超アナログだが、ちょっとデジタルチックな
作品にしあがった。
リンホフテヒニカ4x5 スーパーアンギュロン65mmf8
使用フィルム、ベルビア +1増感

4 JUN.1995 Roppongi Minato-ku Tokyo
4×5(しのごと呼びます、または、フォ.バイ.ファイブ)とは、
フィルムのサイズが4インチ×5インチ
ということ。だいたい葉書ぐらいの大きさのフィルム。
カメラはビューカメラという、
蛇腹のついた旧式な形をしている。
 フィルムが大きいので35mmで撮影するよりも克明にそしてどっしりと描写する。
 外壁がブルーがかっているのは、
隣のビルのネオンサインに照らしだされているから。
リンホフテヒニカ4x5 スーパーアンギュロン65mmf8
使用フィルム、ベルビア +1増感

5 JUN.1995 Roppongi Minato-ku Tokyo 
 この写真はNo.2、3、4とちょっと発色が違う。昼間の太陽光の下で撮る、デイライ
トフィルムではなく、白色電球のような赤い光の時に使用するタングステンフィルム
のせいだ。懐中電灯に照らされた肌色は赤くならず
ノーマルに、青いネオンの反射は水色に、
空の色もデイライトフィルムとは違う。
リンホフテヒニカ4x5 スーパーアンギュロン65mmf8
使用フィルム、フジRTP +2増感

[HOME] [index] [photographs]

6 OCT.1968 Shinjuku station Tokyo
 この写真は僕が学生のころ、ちょうど学園紛争の真っ最中、
1968年10月21日の国際反戦デーのおり、新宿駅構内に乱入したデモ隊が、
機動隊に排除されるまでのちょっとした平穏が、
不気味に支配した瞬間の写真だ。
この晩、騒乱罪が適用され多くの学生や労働者が逮捕された。
この時のエピソードは僕の著書「サイゴンの昼下がり」の
「戦争写真家ロバート・キャパと一ノ瀬泰造」の章で触れている。
この写真は1985年12月新宿にニコンサロンにて
開催した写真展「DAY BY DAY」特別な毎日に発表した。
 カメラはコーワSW28mm、フィルムはTRI-XをDー76で高温現像。

7  AUG.1971 Tsukiji chuou-ku Tokyo
 築地明石町に、僕の友人のガールフレンドが住んでいた。和洋折衷の洒落た家だったことと、
バイト先に近かったので、たまりばになっていた。そのガールフレンドの弟が小さいとき
お祭りの際に撮影した写真が額に飾ってあった。
たぶん1960年ごろの写真だ。
薄暗い部屋のカーテンのすき間から覗く感じ
がなんとなく面白くシャッターを切った。
 この写真とNo.9の写真、他に下の2カットがカメラ毎日の
「アルバム71」というコーナーに
計4ページ掲載された。

 

僕が初めて写真家として発表した記念すべき写真だ。
 フィルムはTRI-X、カメラはヤシカエレクトロ35というコンパクトカメラだ。

8  AUG.1971 Chigasaki Kanagawa Japan
 学生時代によく第三京浜から横浜新道を抜け、ガールフレンドの住んでいた茅ヶ崎
に行った。加山雄三の父親の、俳優上原謙が経営していた茅ヶ崎パシフィックホテル
は夏のかきいれ時でさえ、すでにさほど繁盛しているようには見えなかった。
けれどジャングルのような室内プールがあったり、
一階のレストランはデートスポットとして質素ながら、そこで食
事をするのは僕たちには十分お洒落だった。
隣にボーリング場があり無料の駐車場は広大でいつ行っても車を止められた。
 135号を横断して防風林を抜けて海岸けると、今のように護岸工事をして海岸を拡
張するずっとまえだったけれど、海岸の砂は豊富で広かった。
 この場所は江の島と違って、
地元の人間か、車を持っていなければやってこれなかった。
だから湘南海岸のなかでも一番お洒落なスポットだった。
 「朝の体操」
この写真は1985年12月新宿にニコンサロンにて
開催した写真展「DAY BY DAY」特別な毎日に発表した。
 アサヒペンタックスSP。スーパータクマーマー28mm。TRI-X増感。

[HOME] [index] [photographs]

9 APRIL.1970 YOKOTA TOKYO
 ベトナム戦争最中の横田基地は、多くのアメリカ人家族が
基地周辺のハウスにも住んでいた。しかし子供たちが遊んでいる以外
閑散とした場所だった。
フェンス越しに見える基地は、美しく整備されていて豊かな
アメリカが眩しかった。
車のウィンドウに貼られた星条旗のシール。
アサヒペンタックスSP スーパータクマ20mmf4
TRI-X

10 JUL.1970 Yokosuka Kanagawa Japan
 学生時代、友人たちと車を連ね時々撮影に出かけた。
ちょっとした撮影会気分だ。
 横須賀に行こうということになり、
ドブイタ横丁をたちよった。その時目にしたのがこの資生堂のポスターだった。
この写真は1985年12月新宿にニコンサロンにて
開催した写真展「DAY BY DAY」特別な毎日に発表した。
Asahipentax sp スーパータクマー50mmf1.4
TRI-X

[HOME] [index] [photographs]

11  JUN.1973 Karuizawa Nagano Japan
 すでに僕はアシスタントをしていた。たまの休みには必ず撮影に出かけた。
 軽井沢、浅間山の麓の駐車場に、ちょっとキメたカップルがいた。
 カローラスプリンターのラブのシールが微笑ましい。
 ハッセルブラッド500CM、レンズはプラナー80mm。TRI-X

12 MAY.1974 Harajuku Tokyo
 ロンドンブーツが大流行だった。
青山のHOSONOにはヒール10センチ以上のブーツがた
くさん並べられていた。
 原宿は今ほど賑わってはいなく、落ち着いた街だった。
同潤会アパートは寂れていた。
 ハッセルブラッド500CM、レンズはプラナー80mm。TRI-X

13 NOV.1973 Tomei Ebina Kanagawa Japan
 まだ暴走族と呼ばれる前、彼等はサーキット族と呼ばれていた。
 週末に東名高速海老名サービスエリアに、爆音を轟かせた、改造車が何十台も集まってきた。
ナンバープレートをはずし、レーシングタイヤに履きかえる。
 さながらサーキットのピットだった。本線にでて、厚木の料金所の前でUターンを
する。そのうちかれらは、繁華街を走りまわり、暴走族とよばれるようになった。
 この写真と他に3点の写真が1974年のアサヒカメラに掲載された。
 ハッセルブラッド500CM、レンズはプラナー80mm。TRI-X

[HOME] [index] [photographs]

14 AUG.1973 Inamuragasaki Kanagwa Japan
 桑田佳祐の稲村ジェーンという映画があったけれど、稲村ケ崎の脇の袖ヶ浦の浜辺
は、かなり前からサーフィンが盛んだった。
ここにならんで座っている少女たちは正真正銘の日本人だ。
彼女らのファッションやメイクは、今見ても少しも古くない。25年以上前の僕の目に
は、まぶしいぐらいカッコイイ少女たちだった。一番左と右から二番目の少女は姉妹
だ。一番右の少女は15歳でアンリといった。彼女は18歳になったときモデルとしてデ
ビューした。今の時代と何が違うかというと、彼女たちは一日浜辺でボーイフレンド
がサーフィンをするのを岸辺から眺めているのだ。
山口百恵のロックンロールウイドー
が流行っていた。さしずめ彼女たちはサーフィンウイドウだ。
今なら、少女たちはサーフィンを眺めるのではなく、きっと一緒に楽しんでいるに違いない。
 ハッセルブラッド500CM、レンズはプラナー80mm。TRI-X

15  MAY.1975 Omotesandou Tokyo
 原宿や表参道の歩行者天国が盛んになる以前から、
原宿にはこういった若者が集まってきた。
耳にピアスをする男の子は珍しい時代だった。それでもしてる子はいた。
 僕はこのころ、集団でたむろしている、僕と同世代の連中をよく撮影した。群れて
いるので、「パーティ」というタイトルだった。まだ、アシスタント時代だったので
時間が なかったが、休みの日になると撮影をした。
1975年の9月に僕はフリーになった。それまでと違って、時間は充分あったのに、
彼等たちを撮ることになぜか興味を失っていた。それより、タレントやファッション
の撮影に夢中だった。今より広告やファッションの仕事が輝いて見えていて、日常の
写真を撮ることには興味を失っていた。
 ハッセルブラッド500CM、レンズはプラナー80mm。TRI-X

[HOME] [index] [photographs]

16 MAY.1999 Shibuya Tokyo
 90年代に入って、僕はまた無名の若い人達の写真を撮ることに興味を持ち初めてい
た。それは彼等のファッションに興味を持ったからだ。どこか70年代ファッ
ションと共通したファッションだ。世相的にも高度成長期からオイルショックと不況な時代だ。
こうゆう時こそ、文化的には動き出すときで、ファッションが
かつてのように大人から再び若者に帰ってきたような気がした。
 僕は仕事でファッション写真も多くてがけたが、
結局は日本のファッション雑誌業界は、衣服を売るだけが目的で
日本人の西洋への憧れを商売にした。
かつて日本のファッションカメラマンに求められていたのもは
西洋のファッション写真の亜流だ。いいかえれば商品を売るための販売促進写真でしかない。
それはファッションが、物品販売の側面だけではなく
文化的な面があることを無視しているからだ。日本人にとってファッションとは、という問いかけは
商売にはならい。だから、何でモデルは外人なの?
と問うと、モデルが洋服より目だっては、商品が売れなくなると答えが帰ってくる。
その発想は今でも変わらない。多くのファッション誌は
だから広告雑誌だ。広告はネガティブなことは扱わない。悪くいえばキレイごとの世界だ。
実際、ファッションにはネガティブな面が多い。
人間の欲望と結びついたリアルな世界だ。その側面を無視するから
日本のファッション写真はつまらないのだ。
だから日本映画と同じように衰退している。もう何十年も進歩がないのだ。
それよりストリートをながめた方が何百倍も
ファッション的な衝動に巡り会える。全然洗練してないけれど。
そこで僕が気がついたことは、
この数年日本のファッションが大きく変わったと思う。
それはストリートファッションに明白だ。
 パリだニューヨークだ、ミラノだ、ロンドンだとの神通力はいいとこ、ブランド信
仰だけで、センスが良いとかに、今の若者は振りまわされない。そう「センスが
いい」という呪縛からいま解き放されたのだ。
日本のファッションは大きく変わる。
 EOS-5 MF24mmf1.4 プロビア+1増感

17 MAY.1999 Shibuya Tokyo
 渋谷の街、とりわけセンター街は、まるでミニ歌舞伎町のようにわくわくする場所
だ。
 ここに集まってくる10代の少年少女。ハードに脱色した髪は手入れの悪い老婆の
ように銀色だ。そして日焼けサロンで顔黒にしあげてる。いったいこのセンスはどこ
からきてるのだろうか。黒人文化の影響?シスター系?でもどこかルーズソックスと
も共通している、チープな娼婦のようないでたちに、皆同じようにプラダのリュック

彼女たちのセンスの源泉はいったいどこにあるのだろう。
 リコーGR1s28mmf2.8 Kodak400X

18 MAY.1999 Shibuya Tokyo
 僕は基本的には撮影する場合、相手に声をかけてから撮影する。ストリートで見知
らぬ人に、許可を得るやりかたは、写真の撮りかたの一つの分野だ。被写体であるモ
デルは自分が写りたいように演技する。その演技のはしばしにかえってその人間の個
性がかいま見られる。徹して撮れば、風俗写真とばかりは言えずアートだと言っても
さしつかえない。しかし高度資本主義の日本では、この写真の一分野は商業主義と化
してしまった。ストリート系雑誌は、機械的にかたっぱしから声をかけ撮影する。そ
こに撮影する側の表現は不在だ。
 EOS-5 MF24mmf1.4 プロビア+1増感

19 MAY.1999 Shibuya Tokyo
 僕は今、それならばとファインダーを覗かない、キャデットフォト、盗み撮りをす
ることにしてみた。もっとも今流行りの、密室の盗撮ではない。
公道での肉眼で黙視で来る範囲の盗み撮りだ。そこには彼女や、
彼等たちの、人間に対しての距離感が映っている。
一人であるいているときの距離感。友達と出会ったときの、距離感。僕のよ
うなカメラを持った得体の知れない人間がよってきたときの距離感。
 EOS-5 MF24mmf1.4 プロビア+1増感

20 JUN.1999 Shibuya Tokyo
 今の若い日本人は、他人や物や、自分に対しての全てを、いつも距離をはかっているみたいだ。
他人との距離感が一番大切らしい。
つかづ離れず、まるでカメラマンみたいだ。
この時代、特に日本は肉体性の欠けたバーチャルな世界に
囲まれている。そのため自分の存在のリアリティが薄いのだろうか、例えばプリク
ラで存在を確認したりするとか、写真を撮ることが流行っているのも、カメラという道具
が上手に他人と距離を計ってくれるからだろうか。日常的に写真を撮ることによって
自分の存在を確認しているのだろうか。
リコーGR1s28mmf2.8 Kodak400X

[HOME] [index] [photographs]

21 OCT.1993 Gotanda Tokyo
1994年の1月号のアサヒカメラの表紙。モデルはマリオ。僕にとってマリオはこの時代の少女の典
型だった。洋服の着こなしや考えていることが、ひとつひとつカッコよかった。
 そして、彼女たちを見ていて、日本オリジナルなファッションのウエーブが誕生す
ることを予感した。彼女たちこそ、今の日本のストリートファッションの先駆けだ。
 RZ67マミヤセコール110mmf2.8 。ベルビア120 
 この写真もNo.2〜5の写真と同じように、懐中電灯を使用した TWILIGT TWISTだ。撮
影した場所は、五反田にあるラブホテル有馬。今は改装して面影がないけれど、当時はまだ60年
代ぽい雰囲気の壁紙がはってあり、イメージどおりだった。
Hair&Make MASAYUKI SHIRAKAWA
Stylist M.AOYAGI

22 NOV.1993 Daikanyama Tokyo
 やはりモデルはマリオ。今はすっかり消滅した、代官山の同潤会アパートの敷地で。
僕は代官山に事務所があった時代、スタジオがわりにいつもここで撮影していた。なくな
ると知っていたので、撮ろう撮ろう思っているうちに、引っ越ししてしまい、気がつ
いたらフェンスで覆われていた。先日渋谷のパルコで、ハービー山口さんがここを撮
った写真集を発見した。素敵な本でちょっと嫉妬した。同じことを考えていたのに、僕
は思っただけで、彼はしっかりと撮影した。写真はそれが全てだ。
 RZ67マミヤセコール110mmf2.8 。ベルビア120

23 NOV.1993 Daikanyama Tokyo
 同じときに撮った、アリガマサヨさん。
彼女もマリオもファッション雑誌「キューティ」のモデルだ。
このとき彼女はまだ高校生だった。でもとても大人びた印象のもの静かな少女で、僕が
完成したばかりのレインボーブリッジの前でNUDEを撮りたいと言ったら、そくざに快
諾した。その写真はアサヒカメラに発表したが、
そのうちこのホームページでも紹介したい。
 RZ67マミヤセコール110mmf2.8 。ベルビア120

24 DEC.1997 Harajuku Tokyo
 Momonoさん.彼女は今でも原宿で働いている。ヘアスタイルもメイクもそして顔だ
ちも立派で、迫力がある。彼女たちの友人も何人か撮影したが、皆個性が強くかっこ
いい。
 ハッセルブラッド500CM プラナー80mmf2.8 プロビア+2段増感
 この撮影もTWILIGT TWIST。

25 JUL.1992 Shimoda Shizuoka Japan
 彼女は最近NUDEで話題になった、小島聖ちゃんだ。当時16歳。
アサヒカメラ1992年9月号表紙の写真のバリエーション。
 デアドルフ8×10 フジノン360mmf6.3 ベルビア 
 8×10(エイト・バイ・テン)カメラはフィルムの大きさが、
約20cm×約25cmと特大サイズだ。大きなカメ
ラの描写は存在がまるごと写ってしまいそうだ。
真正面からドカンと撮影する。
誰を撮っても、何をとっても写真になってしまう。
下の右2枚の写真もアサヒカメラの表紙。
真ん中は、TWILIT TWIST、右は自然光。
この2点は67カメラで撮影。
H&M MIHO DOBASHI
Stylist NON NAKAMURA

26 JUL.1976 Omaezaki Shizuoka Japan
 僕がフリーになったばかりの翌年、ある日横尾忠則さんが、僕が撮った、週刊プレ
イボーイの、ランナウエイズという、当時人気のあったアメリカの女性ロックグループ
の写真を見て、電話をしてきた。京都の着物の会社のカレンダー制作の依頼だった。
着物は三宅一生さんのコレクションの洋服生地を使用するという。
そのコレクションのテキスタイルデザインを横尾さんが担当していた。
 横尾さんとは、僕は篠山さんのアシスタント時代、一緒にインドに行き、面識はあった。
しかしそのころは横尾さんと仕事するなんて想像もしていなかった。
 横尾さんはアイデアから、段取りまで、全て僕にまかせてくれた。
僕は表紙を入れて7カットの撮影プランを出した。
撮影中横尾さんはひとり海岸で瞑想していた。
 モデルは山口小夜子さん、HAIR &MAKEは川辺サチコさんだった。
当時の超一流のスタッフとの撮影。皆ほとんど徹夜の3日間だった。
 この写真は表紙に使用したカット。
500wのタングステンライトを一灯正面から当てただけだ。
 CANON F1 FD50mmf1.4 コダクローム64

   


 27 JUL.1976 OHIGAWA Shizuoka Japan
 早朝の大井川河口。太陽が昇る前に全ての準備を終えるため、夜は一睡もしないで準
備した。僕はこの写真が今でもとても好きだ。完璧なコンポションと情感。
 撮影のセットはいたって簡単だ。当時最速のチャージスピードを誇っていた、サン
パックのコンパクトオートストロボ一灯を報道カメラマンのようにカメラにくっつけ
ただけだ。背景と露出のバランスを取るために、
何枚もモノクロのポラロイドを撮りながら撮影した。
 CANON F1 FD24mmf2.8コダクローム64

[HOME] [index] [photographs]

28 JUL.1976 Omaezaki Shizuoka Japan
 撮影方法は、27と同じ。
いわゆるストロボの日中シンクロだ(明け方でも夕方でもそういう)
ストロボで照射する光量と、背景の景色の露出の
バランスを取る。今ではカメラがオートマチックやってくれる。
僕は、山口小夜子が踊るように逃げまわる姿を追いかけながら撮る。
この直後小夜子は突然崩れるように倒れてしまった。
僕はそれも演技だと思い撮り続けた。
皆僕の執念を褒めてくれたが、具合が悪くなって倒れたとは想像もしていなかったからだ。
それというのも強行スケジュールでの撮影、
この夕方の撮影のまえに、
川の水のなかに一時間も小夜子を横たわらせて撮影したたため体調をくずしたのだった。
ただゆっくりと倒れる瞬間の小夜子の取り憑かれたような
美しさは今でも脳裏に焼きついている。
 CANON F1 FD24mmf2.8コダクローム64

29 Sep.1995 Odaiba Tokyo
 都市博がまだ中止前のお台場。モデルは英姫。あたりは一面工事中だった。
 こういう殺伐とした景色がなぜか僕は一番すきだ。背景に工事中のフジテレビが見
える。自動車雑誌NAVIの別冊として創刊された「OP」という雑誌のために撮った写真。
フィルムはポラロイドのtype55。このモノクロームの4X5ポラロイドフィルムにはネガ
がついている。そのネガからプリントした写真だ。現在使いやすい4X5のモノクロー
ムのフィルムがなくなってしまった。だから僕はほとんどtype55フィルムを使っている。その
ため、外国に行くときも、ヴェトナムにだって、
現場で高膜処理するため、タッパウエアに無水亜硫酸ソーダを
用意してゆくことになる。あまり丁寧にあつかわないので、
傷がついたり、むらになったり、
条件によってはソラリゼーション(反転ムラ)が起きたりする。
阪神大震災(No.31〜35)の取材の時までは、カラーの4X5フィルムのテスト用だったので
その貴重な、ポラロイドのネガを、なんたることか捨てていた。
丁寧な高膜処理する余裕はないからだ。ところが、阪神大震災の写真を
ポスターにする際、わざと傷をつけた。そして傷ついた写真のリアリティに
僕は目から鱗がとれる状態だった。
傷ついたって、むらになったいいじゃないかと。
それ以降ぼくは、普通の撮影の流れのなかでポラロイドのネガを扱っている。
不思議なことに、そうとう雑にあつかっていても、慣れてきたせいだろう、
美しいネガがいつでもできるようになった。

リンホフテヒニカ スーパーアンギュロン65mmf8 
フィルムはポラロイドのtype55
 
30 Sep.1995 Odaiba Tokyo
 工事中のゆりかもめの高架下。
今はこの場所でこんなふうに撮影することは不可能だ。
 リンホフテヒニカ スーパーアンギュロン65mmf8 
フィルムはポラロイドのtype55

31 JAN.1995 Kobe Hyogo Japan
 1995年1月17日月曜日。ぼくはその日伊豆にいて地震のことは何も知らなかった。
 朝からテレビもラジオもスイッチをいれてなかったからだ。知った時にはすでに昼
をまわっていた。初めはさほどたいした被害とは思えなかった。
時間がたつにつれ想像を絶する被害となっていた。
 その週末小説家の矢作氏と連載していたNAVIの撮影の予定があったが、そんな場合
じゃないとの認識で神戸に取材に行こうと、急遽変更した。
 週刊ポストから取材費がでることになり、
クルマではどこまで入れるかわからなかっ
たので、アシスタントの分と3台マウンテンバイクを購入してジープチェロキーの屋
根に載せた。神戸に入れるのは緊急物資輸送のステッカーを役所からもらわなければ
ならなかった。僕は日本写真家協会に行って、
プレスのステッカーと腕章をもらった。
矢作氏は赤いヘルメットを三つそろえてご満悦だった。
 夜中12時に横浜を出発した。東名高速は普段よりも空いていて、屋根に載せた自転
車を心配しつつ僕は平均速度150キロでぶっとばした。どこから渋滞が始まるか心配
だった。ところが京都南で国道に下ろされても、どこも渋滞はなかった。なんどかの
検問もヘルメット姿、ジープの屋根には自転車三台、窓やボンネットにはプレスのス
テッカーといった重装備に、気後れしたのか「取材」というと、検問はどんどんパス
することができた。あっけないくらいだった。気がついたら朝の芦屋の街に着いてい
た。それまでは地震のつめあとはたいしたことがなかったが、突然家という家は醜く
歪んでいた。まずはテレビで見ていた崩れた高速道路にどうにかたどりついた。
 そこはすでに解体が始まる寸前だった。NHKの朝のニュースが中継をしていた。

32 JAN.1995 Kobe Hyogo Japan
 長田の街はほぼ鎮火していた。ところどころ煙がくすぶっていた。
燃えたホンダアコードが印象的だった。
4×5を2枚撮影したうちの一枚が、ホルダーの不具合で光線
漏れがあった。オレンジ色のムラはそのせいだ。
 ところで今回の撮影に僕は4×5カメラをなぜ選択したのだろう。
それはニュースとして第一報を撮影しに行くわけではなかったからだ。
僕は報道カメラマンとして神戸の地を踏んではいない。
僕は被災した神戸の街の風景を撮影しにいったのだ。
そのための4×5カメラの撮影だった。
はじめ僕はテレビのニュースカメラの隣で、悠然と三脚をセットして
、暗幕をかぶり撮影することにある種の後ろめたさを感じた。
その撮影方法が、この悲惨な場所に、そぐわないような気がしたのだ。
撮影している時の気持ちは、冷静に目の前の現実を、ビル工事現場を撮るように
複写したのだった。しかし昔の写真家は皆こうやって大きな暗箱(ビューカメラ)で
撮影していたのだ。今よりも特別だった技術を駆使して、
彼等は冷静に被写体に向かい合い、撮影したに違いない。
彼等に、僕のような後ろめたさは、なかったろう。
どうしてぼくは、後ろめたかったのだろう。

リンホフテヒニカ4×5 スーパーアンギュロンf8 ベルビア+2増感

33 JAN.1995 Kobe Hyogo Japan
 焼けただれた長田の街を自衛隊員が行方不明者を捜しているのだろう。僕は道路の
真ん中に三脚を据えて八分の一のスローシャッターを切った。すると隊員たちはブレ
て亡霊のように写った。とても不気味な写真になった。
スローシャッターを切って、わざと自衛隊隊員たちをブラす。
そのやりかたを、僕は躊躇せず選んだ。
いったいそれで、記録写真になるのだろうか。
リンホフテヒニカ4×5 スーパーアンギュロンf8 ベルビア+2増感

34 JUN.1995 Kobe Hyogo Japan
半年後僕は再び神戸を訪れた。一月に撮影した場所と同じ地点から撮るためだ。その
撮り方を定点写真という。写真の撮影方法の一ジャンルだ。ただ1月とは同じ地点で
は撮れない場所が多かった。この写真は33の写真とほぼ同じ場所だ。注意深く観察し
なければ同じ場所とは思えない。
リンホフテヒニカ4×5 スーパーアンギュロンf8 ベルビア+2増感

[HOME] [index] [photographs]

35 JUN.1995 Kobe Hyogo Japan
震災から半年もたつと、街は一応落ち着いていた。壊されたビルも多く、空き地が広
がりすっきりした印象だった。ただガレキの巨大な山には驚いた。
32の章で、大型カメラの撮影について、後ろめたさを感じた、と書いたが、
それは僕があのときニュース写真を撮りに行ったのではなく、
場違いにも風景写真を撮っていた後ろめたさだったのだろう。
ところが、あのあと多くのメディアの、ニュース写真としての神戸が、
僕の撮った風景写真としての神戸とは、
どこか基本的に違ったメッセージを内包しているように思えてきた。
 ニュース写真の神戸は、とくに燃え盛る煙がモクモクと空を覆う長田の写真は、ま
るで空襲の後のような迫力があったが、それは事件の写真であり第三者に知らせるための
立派な報道写真だった。
しかしそのニュース写真は第三者の目、他人の目、客観的な、よそ物の視線ではないだろうか。
それにひきかえ、僕の撮った三脚を据えた風景写真は、
撮影中あれほど、場違いな気持ちで撮った写真が、
こうやって冷静に眺めると、
神戸と真正面から向かい合っているように思えた。
そこには事件より、実際そこに立って呆然と街を眺める、
当事者の視線のようにさえ感じたのだ。
僕は不思議だった。あの後ろめたさが微塵も写っていない。
そこには真摯にも、生真面目に、対象と正対している写真が存在していた。
 その時撮った写真のなかからアートディレクターの水谷孝次氏から要望され、3点
を選び、神戸救済 COME TOGETER FOR KOBEのB倍ポスターを制作することになった。
そのとき僕が見せた写真のなかの、No.32の光線漏れした写真に、
水谷氏はリアリティを感じると言った。
結局そのリアリティを表現するために4X5でとった写真を
8X10にデュープ(複製)して、その写真を
傷つけることにした。僕は自分の写真を生まれて初めて踏みつけた。コンセプトとし
ては、ある意味人災と呼べる阪神大震災と繋がった道路、それは代官山の八幡通り
の路上だったが、車に轢かせたり、蹴飛ばしたりして傷をつけた。友人のなかには表
現のためのそのようなあざとい加工を否定した者もいたが、僕はとてもリアリティを
感じ、傷のついたポスターの写真も好きになった。ポスターとはそこに映っている写
真を見せる媒体の機能ばかりか、傷をつけるこよによってメッセージ性を喚起する
作用があることを教えられた。そう、ポスターは現実を知らせるだけではなく、
考えさせるものでもあるのだ。加えられた傷によって、みる側はストレートな
写真とは違ったメッセージを想像する。


リンホフテヒニカ4×5 スーパーアンギュロンf8 ベルビア+2増感

36 MAR.1998 Kujukuri Chiba Japan
 この写真はNAVIの女性特集のなかのファッショングラビアページだ。
 僕は、ファッション写真が洋服を売るための販売促進の意味しかない、今の多く
の日本のファッション写真の現状に幻滅している。ファッション写真はNUDE写真と同じように
写真のなかの魅力的な一分野だ。それは高度な資本主義社会と添い寝するように
存在している。そのことによって通俗と洗練がせめぎあうのだ。
 僕は車を燃やしたいと思った。
映画などでは簡単に燃やしたりするけど、ファッショ
ン写真の中で車を燃やす意味を自問自答した。しかもクルマ雑誌NAVIだ。燃やせば不
要に煙りがでて、ダイオキシンをまき散らすことにもなるかもしれない。
 僕は九十九里の撮影場所の近くのジャンクヤードから
解体寸前のロードスターを買った。運んで燃やし、撤去する。そこまでを依頼した。
私有地の撮影なので土地のオーナーの許可はとっていたが、
その日は強風だった。
それに車はなかなか燃えなかった。
石油を注いだりしてみた。ところが突然黙々と黒い煙りを舞あげ燃え出した。
それは予想を遥かに超えた火勢だった。あわてて砂を皆で砂をかけた。
撮影どころではなかった。それでもちょっと火勢が弱まったところで、
ホンの数分の撮影をした。いつ消防が飛んできても不思議ではなかった。
 写真は頭のなかや、バーチャルな世界では、生まれない。目の前にアイデアを現実
に作り出さなければならない。ある意味とっても反社会的だ。
タイトルは「楽園のむこう側」
1999年の最後の日がテーマ。
STYLIST SUMI SANBONGI
HAIR KENJIRO AKAMA
MEKE-UP NAOMI KUBOTA
DESIGN HIROSHI OMIZO
ART DIRECTOR KOJI MIZUTANI
リンホフテヒニカ4×5 スーパーアンギュロンf8 ポラロイドtype55

37 MAR.1998 Kujukuri Chiba Japan
フィアットジャパンからオレンジ色のバルケッタを借りた。このファッショングラ
ビアのテーマは、「ESCAPE」。どこかに逃げ出す。
そんなイメージのコンテを書いた。
マミヤRZ67 セコール110mmf2.8 プロビア-2減感
MODEL KAORU TAKAO TSUNO

38 MAR.1998 Kujukuri Chiba Japan
 ポラロイドカメラ195 ポラロイドフィルムtype665
 僕はポラロイドカメラ195がとても気に入っている。20年ぐらいまえに香港で購入
した。初めのころは35mmのためのポラ用テストカメラだった。
あるときtype665のフィルムをいれて撮影した。癖のないボケ味。
このカメラが故障して使用不能になったら
と思うとぞっとする。
left page MODEL YOU
cos.SHINICHIRO ARAKAWA
right page MODEL MODEL KAORU TAKAO TSUNO

39 MAR.1998 Kujukuri Chiba Japan
MODEL KAORU
JAGUAR XK8 CONVERTIBLE
cos.MIU MIU
砂の反射だけで、一切レフ板などはつかっていない。
フィルムは減感現像することによって軟調に仕上げている。
減感によるカラーバランスの崩れを整えるため
LBA4フィルターを使用している。
マミヤRZ67 セコール110mmf2.8 プロビア-2減感
MODEL KAORU TAKAO TSUNO

40 MAR.1998 Kujukuri Chiba Japan
ポラロイドカメラ195 ポラロイドフィルムtype665
STYLIST SUMI SANBONGI
HAIR KENJIRO AKAMA
MEKE-UP NAOMI KUBOTA
DESIGN HIROSHI OMIZO
ART DIRECTOR KOJI MIZUTANI

[HOME] [index] [photographs]

41 APL.1999 Kujukuri Chiba Japan
ラテンROCK歌手というのかな、OSAMU KOGANEI氏はロールスロイスを所有している。だからといって彼
が現在裕福というわけではない。それなのになぜ?ミステリーだ。
彼のことは最近知り合ったばかりでまだ良くわかっていない。
アコースティックギター(フラメンコ?)一本で歌う歌はチャーミングで抜群にうまい。
ラテンミュージックが世界的にはやりそうな気分
彼の歌も今の時代にフィットするかもしれない。
99/7月現在、二枚目のアルバムを制作中だ。
女性のモデルは
 スイッチというバンドにいたユカちゃんだ。KOGANEI君のライブで知り合った。
KOGANEI君とニオイが似てたので一緒に写真を撮ったら面白いかなと思った。
ポラロイドカメラ195 ポラロイドフィルムtype665

42 APL.1999 Kujukuri Chiba Japan
千葉県の九十九里海岸は僕の大好きな撮影スポットだ。
もう20数年も通っている。ただ最近はごたぶんにもれず
護岸工事が進み風景が退屈になってきてる。
でも地元の人に聞くと、ここは風が強いからすぐに砂で埋って以前の
ようになるさ、と言っていた。
ポラロイドカメラ195 ポラロイドフィルムtype665

43 APL.1999 Kujukuri Chiba Japan
ポラロイドカメラ195 ポラロイドフィルムtype665
この写真のテーマは、NAVIの撮影と同じように「ESCAPE」
何から逃げ出すって?
何からだろう。
ポラロイドカメラ195 ポラロイドフィルムtype665

44 MAR.1999 MITSUHIRO OIKAWA Japan
王子様、ミッチー、及川光博氏を撮影した。アルバムの写真と、
1999年7月に発売されるFRaUに載る。
ダンサーのようなしなやかな肉体。そしてシャープな頭脳。
テレビでみるよりずっとスケールの大きい人間だった。
ART DIRECTION STYLING TAKAGI HAYAKAWA
H&M CHIAKI SHIMADA
マミヤRZ67 マミヤセコール110mm プロビア TWILIGT TWIST

45 MAR.1999 MITSUHIRO OIKAWA Japan
同上
マミヤRZ67 マミヤセコール110mm プロビア TWILIGT TWIST

[HOME] [index] [photographs]