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1999年
99/11 森 千恵さん
ホームページ見ました。以前からヴェトナムには興味があったのですが、ますます行きたくなりました。私は学生なのですが、夏休みにタイに行ってきました。タイもなかなか面白かったのですが、近いとはいえ、やはりヴェトナムに行きたかったです。アオザイにも憧れがありましたし、何といっても写真を撮りに行きたいです。あと一年で卒業なので、それまでに写真の腕を磨いて、卒業旅行にはヴェトナムへ行けるといいなぁと思っています。そして、サイゴンの昼下がりを読みたいと思います。これからもお仕事頑張ってください。
99/11 watanabe kaori さん
どの写真も感動しました。
私も写真を趣味でやっていますが、8月に、ウラジオストックへいきました。
ハバロスクフにいって、そこから、シベリア鉄道に乗って、なかなかいい旅でした。
いい写真も撮れたと思います?。飛行機ちょっと恐くなかったですか?
いろいろ旅をしてみえるようなので、そんな飛行機ぐらいでは、全然問題ないってな感じでしょうか?なかなか食事は美味しかったですよね。綺麗なおネイ様も沢山いて、何だか、ホントに自分がおこちゃまにみえました。今回ライタ-の人もいって、ホ-ムペ-ジで、紹介しているところです。彼女も、まだ途中。
建物は、オシャレでしたね。絵になりやすくて、それから、人にしても写真撮られる
こと好きな人多くて、特に、子供は可愛かったです。人なつこくって。(ちょっと、カメラ奪われるかと思った!!)
はじめ、ロシアだし、ちょっとこわかったのですが、全然いい人たちばかり。
海軍学校に通って、日本語を独学で勉強している青年とも知り合いになりました。
何となく、あか抜けないとこがあったのですが、郷ひろみ似のなかなかハンサムさん
でした。いろいろ片言で話したのですが、この先のことが話になると、とてもブル-になって
落ち込んでいたのが印象的でした。まだまだ、不安は大きいようです。
今回アサヒカメラを見て、ウラジオストックが載っていて感激してメ-ルさせていた
だきました。一緒にいった人は、とても気に入ってしまって、また行くといっています。
少し、車を走らせると、また違ったウラジオストックなのですね。
なんか?これからブ-ムがやってくる!!なんていっていた人がいましたけど、どうでしょ
うか?
ではまた、続きと、次の作品楽しみにしています。
1999/10 三重県 桑名市 真野さん
初めてお便りします。35歳の男性です。横木さんのことは「サイゴンの昼下がり」で知りました。それまではヌード写真にあまり興味のなかったせいか、お名前を知る機会はありませんでした(ごめんなさい)。
しかし、横木さんが日本ではずいぶんと活躍してみえるのにもかかわらず、
ヴェトナムという国を、そこに住む人々を新鮮な眼で見ているのにとても感動しました。私も3年ほど前からヴェトナムに興味を持ち、仕事の合間をぬっては出かけています。そして、今回思い切って、メールを出そうと思ったきっかけとなったのは、
インターネットのホームページで「DAY
BY DAY」を読んだからです。
とても示唆に富んだ文章だと思いました。
私もコンピューターを使い、画像の処理などもしますが、やはり写真に関しては
「きちんとカメラで撮ったものでなければ」と、何故か頑なに考えています。もちろんコンピュータは情報発信の道具としては優れていると思います。とくに、自分の写真集など夢のようなアマチュアカメラマンにとっては、ホームページを作れば手軽に自分の撮った写真を見てもらうことができます。また、さらにはCD-Rに写真を収めれば、安価で、友人などに配ることもできます。しかし、パソコン上でトリミングをしたり、そのほかいろいろな加工をするのはやはり邪道だと考えてしまいます。
特に写真を撮ることに関しては、それとは逆の方向に自分のベクトルが向いていっているように思います。
ローライコードやフジの645を購入したり、近頃は「針穴写真機」に興味が出てきました。こんなふうにデジタル化と頑なにアナログで写真を撮ろうとすることの狭間で、ややもすれば自分を見失いがちになります。そんなとき、横木さんの「DAY
BY DAY」はとても、うれしい、心に響く言葉でした。
これからも横木さんの撮られる写真を楽しみにしております。そして、私も下手は
下手なりに、いろいろ迷い、がんばっていこうと思います。
感想ありがとうございます。今の時代、写真に限らずデジタルは無視できません。
どちらかを選ぶわけではなく、両方楽しめば良いのです。
僕は、アナログもデジタルも両方とも、根本は同じだと思います。
世界を理解するための、尺度の違いではないでしょうか。
現在は、新しい技術であるデジタルが新鮮で、人気があります。
しかし、生まれたときからデジタルに囲まれている、子供たちの世代は
かえって、アナログのほうが新鮮に感じるかも知れません。
もっともデジタルは経済学的にはアナログより優れているので、
世界の殆どのことがらはデジタルになるでしょう。
ただ、今のところデジタルは、進化の途中です。いいかえれば、まだまだ幼稚なのです。これからデジタルが進化すると、人間にとってはその境界線がしだいに曖昧になると思います。人間は〇か1は簡単に認識できます。○と×といいかえても、存在と無と、難しく言ってもいいでしょう。
しかし、人間は所詮アナログ的な認識能力しかもっていません。
アナログかデジタルかという議論は今の時代だけの話題かもしれません。 ay
1999/9 day by day の冒頭の文を読んで 大塚 伸彦さん 会社員 36歳
プロカメラマンの気概、哲学がこの文には凝縮されているように感じました。
デジタル化、DTPの発達などテクノロジーは発達を続けていく中、我々全員がその
影響の中で生きていると思うのですが、新しい波に対しての横木先生のスタンスの持
ち方とでもいうものを説明してもらえている気がして興味深く読ませていただきまし
た。新しい技術、手段は万事に古い技術にとってかわれるものではないというのは、
私の持論です。ガレのガラス細工、クラシックカー、真空管のオーディオアンプ、み
な今は技術の傍流に位置づけられるものですが、愛好者が絶える事のないものでしょ
う。独断で言えば正当な人間の美意識が支持するものがそれらにきっとあるからだと
思います。横木先生がパソコンの画面の映像を見た時、写真とは同じ価値には至らないと考えられるときに、何が美しいか、何が人にとりリアルでありえるかというカメラマンの美意識が働いたのではと、今私は推測しています。
ご感想ありがとうございます。
新しい技術、手段は万事に古い技術にとってかわれるものではないというのは、
僕も同感です。ただ、僕は写真が将来古い技術になるとは思っていません。
それは、銀塩写真のみを写真とは思っていないからです。デジタル写真もやはり写真です。実際僕は、モノクロのプリントは暗室で銀塩写真である印画紙にプリントしてますが、カラーに関しては明るい部屋でスキャニングして、インクジェットでプリントした写真が好きです。
当然それも僕は写真と考えています。
僕がディスプレー上の写真を、写真の情報としてしか思えないという意味は、電気的にこの世の中に存在しているだけで、実体を感じないからです。キー一つでdeleteして、姿もかたちもなくすることができます。しかし、僕の考える写真は、この世の中に実体として存在します。燃やせば灰が残ります。僕は、写真家の実感として、写真は単に情報のみが写っているのではないと思えているのです。
この世の中に実体として存在することに何か意味があるのではないでしょうか。
ですから、スクリーンに映写する映画や、テレビとは何かが違うのです。動いているかどうかではありません。これは、技術の問題ではなくメディアの問題かも知れません。
ALAO YOKOGI
