2002
2001年 12月4日
キューバの本「ユーウツな楽園」とは別バージョンの、僕の気侭な印象を綴った写真と文章のサイトをちょっと続けて作ってゆく予定です。本とは違った内容、写真になるので、本をお読みになったかたも、ならないかたも、楽しんでください。まだ始めたばかりで内容は浅いけれど、順次充実させて行きます。もちろん「ユーウツな楽園」のサイトも、本の紹介をメインに充実させます。
11月29日
■2001年12月24日、アミューズブックスから、ノンフィクションライターの田崎健太氏と共著で「ユーウツな楽園」というキューバの本が出版されます。定価は税込¥3,000。190ページ。本屋さんで見かけたら手にとってみてください。カッコいい本に仕上がりました。田崎氏の文章も辛口で、インパクトがあります。本が発売されたら私のサイン入りの本をこのホームページでも販売いたします。

11月16日0:30
またまた一ヶ月近く、書かなかった。いろいろ忙しかったりしたけれど。
まずニュースとしては、今月のアサヒカメラ12月号11月20日発売に、表紙とカラー8pで、僕が撮影した一ノ瀬泰造の故郷武雄の写真が紹介されている。どうぞごらんください。武雄の街から見える桜山が、まるでアンコールワットの尖塔のように見えることを感じてください。絶対に一ノ瀬泰造の心のイメージのなかに、ダブるように記憶されているはずだと、誰もが確信すると思います。
それと、12月20日に、アミューズブックスから、田崎健太氏と共著で、キューバの本、「ユーウツな楽園」を出版します。僕の楽園のようなキューバの写真と、田崎君の書いた辛口なキューバのドキュメントは、読み物としても、そしてキューバの空気を感じる本としても自信のある作品にしあがりました。定価が¥3000近くもしますが、是非書店で手にとって見て下さい。詳しくは本が発売されるころにこのホームページ上で紹介します。
10月18日
最近、僕の仕事の傾向がある種変わってきたせいだろうか、このホームページを作った初期の動機が薄れ、このサイトの内容が若干変わるような気がする。回りくどい言い方だが、僕はこのホームページを、タレントの写真のような、良い意味でも生臭いものは、排除しようと思っていた。実際、撮った写真を肖像権の問題でいちいち許可を受けなければならないものをこのホームページに載せる気にはなれなかったせいもある。実際はタレントの写真は、そのタレントが有名であるから、魅力的なので、写真の力は、その何%を担っているのだろうか。新人ならともかく、有名や、絶頂の人の写真を撮ることは、そのカメラマンの価値を保証することにはなっても、僕にとって興味在る問題『カメラを通して世の中がどうゆうふうに見えるのだろう』とうテーマには、どこかそぐわないのかも知れないと思っていることもたしかだ。有名人の記録、特にテレビなどで擦り切れる程、見ることのできる、映像的に消費されている人間をわざわざ写真に、僕の写真に納める必要があるのかと、自問する。かえって落ちぶれた芸能人のほうが興味あるし、まだ匂いのついていない新人を撮ることは大好きだ。
以前は、やはり売れている芸能人を撮ることは好きだった。自分が彼等と一緒に仕事できることが、もしかしら時代のエッジに立っているような気がして、誇らしかったのかもしれない。実際それは昆虫採集のようなもので、綺麗なチョウチョを集めて(昆虫採集を揶揄してるわけではない)悦にいっているだけの、だいたい芸能人と仲良くなってどうこう思うこと自体たいした問題ではないし、それは無名であっても、気に入った人なら友だちになるのと同じで、もちろん芸能人のなかにも好きな人はたくさんいる。特に好きならば撮りたいが、今はなんかそんな気分でも無いような気がする。いやそれは嘘で、仕事なら僕は撮るけれど。仕事とは楽しいことばかりではないし、この時代そんな不遜なことは言えない。どんな仕事でもそのなかで楽しさを見い出すのが僕の仕事に対するやりかだ。本当にいやならやらなければいい。実際嫌っていたタレントが会って好きになることもある。だからそのへんは先入観を持たずに被写体と向かいある必要があるのかもしれない。
有名だからとか、無名であるとか、正しいとか、正しく無いは、自分の目で確かめることで、情報に左右される必要はないと思う。
僕は基本的に現在の仕事は、広告は殆ど言い訳程度にしかやっていない。別に広告が嫌いと言うわけではない。広告はある種ゲームのようなところがある。実際はつまらない商品でも、それを特別なもののように表現する。写真家にとってはそれは、良いことの場合もあるが、例えばタバコの広告のように、実際は人体に害が会っても(精神的には利があるというのが論理だが)さも、気持ちよさそうな写真を撮る。それは、自分がタバコを吸わないひとだって、仕事としてその写真を撮ることになる。酒にも言える。もちろん生活するためにはしかたが無いし、いやそんな風に卑屈にならなくても、実際広告の仕事は、やってみると、どこか小気みよい快感すらある。それは、どんなつまらない商品でも、それを売るために必死になっている誰かがいて、その熱意や狂気に、どこか共感を覚えるからだ。広告とは、ある商品を売るために、ゲームのように人を騙す作業だ。何よりも広告は、メディアとして巨大だ。それも表面上はとても、紳士な顔をしている。仕事をしていても、何か綺麗な仕事をしてるような気になる。実際は、先にもかいたが、内包してるものに、毒があったりするが。
なにをこんなことをだらだらと、書いているかと言うと、最近の僕は、メインストリートより横道に興味がわいてしまった自分に、ちょっとジレンマがある。それは、例えば一ノ瀬泰造と林葉直子を同じ列に並べて良いものかということど。一ノ瀬も横道だけれど。なんのことか分からないひともいると思うが、12月号のアサヒカメラで一ノ瀬の故郷、武雄の町を撮影した。実際彼のお母さんの写真を撮ったり、話を聞いたりした。このホームページで、そのことを語ることは何のジレンマもないし、ここのサイトに来てくれて読んでくれる人に対して裏切ることでもない。何かまるで僕の「良心」で撮っていると勘違いされても、さほど問題はない。ところが、同じカメラマンである僕が胸を整形した、林葉直子さんのヌード写真集を撮っている。それについてもしこのサイトで僕が多くを語ったら、どうだろうか。僕の心のなかの商売と、良心のバラ売りにように思えるのではないだろうか。僕の本心は、そのどちらもまったく同じように興味の対象で、いやならやらなければいし、でも僕は、僕の通俗性が特に林葉のような女性に、何かと興味あり、かっこつければジャーリスティック、この世の中に存在しているものにたいする全ての興味として、どちらも大切なのだ。
誤解を恐れずに言うが、誤解されてもいっこうにかまわないが、僕は『写真は、表面しか写らない』と思っている。内面が写っているように思うのは、見る側のイマジネーションだ。目で見るものしか写らないというのではない。目で見えないものは、いくらでも写真に写っている。でも内面は絶対に写って無い。
論理も、何も、それはあとで付け加えたもので、写真は外面しか写らない。外面しか写らないから、ある意味、美しい物も醜いものも、有名でも無名でも同じだ。正義も不正も表面しか写らない。老哲学者とただの老人の見分けは不能だ。それは先入観だったり、服そうだったりが、教えてくれるだけで、美しいこころの持ち主が、美しい顔をしているわけではない。好きだし、気軽に感動させてくれる、テレビのOLのドラマの主人公のように皆が共感するほど魅力的、普通のOLなんて現実にはほとんどいない。そのOLがブスだったら共感されるだろうか。現実の世の中、外面しか見えない部分で社会は進行している。なにがいいたいかというと、写真にとっても僕にとっては皆平等ということだ。
思いつきのなげやりな文章で申し訳ないが、時間がなくなったのでまた書く。最近なかなかここで書くことができないのは、僕の回りがちょっと生々しくて、ここで書くのがちょっと面倒ということもある。林葉直子の写真集は10月20日発売。
10月4日
佐賀県武雄に行ってきた。一ノ瀬泰造のお母さんに会い、彼のお墓に行った。お墓の写真を撮った。かつて一ノ瀬が見たであろう、駆け抜けたであろう、武雄の町を撮影した。
一ノ瀬さんのお母さんとは、二年前の東京で開催された写真展の時にお会いした。その時はまだ夫である、清二さんもお元気だった。五十年以上も連れ添っていた夫婦の歴史も、今年の春、清二さんが亡くなり、彼女の心の中はぽっかりと空洞があるようだった。
ただその空洞を一杯にうめる程、二十五年以上前に、カンボジアに消えた、息子泰造が、若い時そのままに彼女の心に生きている。
彼女の話す全ては、泰造が彼の姉の結婚式に出席するためにベトナムから一時帰国して、そしてまた戦場に戻る時、友人たちが壮行会を、との提案を拒否して、下駄履きで、彼の家の前からタクシーで出発した一ノ瀬の目に涙がいっぱい溜まっているのを、母は見のがさない……彼女の時間はその時から止まってしまっている。
今回に、初めて一ノ瀬泰造の、学生時代のコンタクトプリントや、彼が纏めた、ボクシングと伊万里焼きのドキュメントの、分厚い写真帳を見せてもらった。それはB5サイズぐらいで、一枚一枚のモノクロの写真が台紙に張られ、丁寧に綴じられていた。厚さは五センチもあろうか。立派な写真帳だった。
それは彼が日大時代、たぶん二年か三年の時に作ったものだと思う。その写真は僕に衝撃を与えた。それは、一ノ瀬がベトナムに行ったとき、彼はまだ写真のスタイルが発展途上なのだと思っていた。一ノ瀬は写真家として、ベトナム、カンボジアで育ったのだと思っていた。一ノ瀬の写真界の評価は、写真家としてよりも、彼の生き方が評価されていて、彼は、自分自身でも語っているように、一般的に技術的に未熟だと考えられている。
僕は、彼のコンタクトプリントや、写真帳を見て、一ノ瀬はとても早熟な写真家だと思った。戦争の写真を撮る以前から、ポートレイトや、平和なドキュメンタリー写真も、撮影方法や、被写体との距離感や、ポジション、構図は、完成していた。一ノ瀬は、報道写真家としては、発展途上だったかもしれないが、写真家としはすでにスタイルが出来上がっていて、どの写真も、それが学生時代のお気楽な撮影会の写真でも、どこか的確で魅力的だ。
武雄の写真はアサヒカメラ12月号に掲載される。
さて、最近の僕の近況だけれど、僕はこのホームページで、僕の仕事のある面についてはほとんど何も語っていない。ホームページを始めた動機が直接進行形の仕事に関係ない部分を紹介するつもりだったからだ。
ときどきメールでこのホームページと、僕の例えば女性のnude写真集などの仕事とのギャップに驚き、ここに書いてあることが信じられない、といったお叱りのメールをいただいたこともある。このホームページに来る方は、たいていベトナムか、一ノ瀬泰造に興味あるひとが多いのだけれど、だから僕がnudeを撮ったりすることが、どこか違和感を感じているのかも知れない。
今回も僕は、元、女流棋士の林葉直子さんを撮影した。10月20日には写真集として発売される。彼女は例の、不倫録音騒動以来、世の男の敵であり、耐える女の品位を汚すものとして、ある意味社会の敵であると思っている人も多い。
僕の仕事のスタンスは、知らないことを自分の目で見て、記録することだと思っている。それは、正しい事、不正なこと、美しいこと、醜いこと、そんな社会の一般的な評価とは別に、僕は自分の目で、写真という目で、見ることだと思っている。
僕がなぜ写真を撮るかというと、知らないことを知りたいからだ。僕はどんな写真を撮っても、芸術的であるよりは、ジャーナリスティックでありたいと思っている。どんなに美しい写真でも、いや醜い写真でも、この世の中から離れた、空想の世界ではなく、今21世紀の、世界のどこかに実際に存在している証として、写真を撮りたいと思っている。
僕にとって、スキャンダルなnude写真も、他の写真も全て同一線上に存在している。
9月29日am6:00
今日これから、佐賀県の武雄に行くところだ。アサヒカメラの12月号に、一ノ瀬泰造の故郷の風景写真を発表するためだ。僕はいままで佐賀市までは行ったことがあるが、武雄に行ったことがない。彼の両親とは写真展の時にお会いした。今年の春父親の清二さんはなくなった。お母さんには会って来る。
彼のことをいろいろ書いているのに、彼の原点を何も知らない。それを今日見に行き写真を撮る。
キューバの写真が、10月6日の週刊現代に載る。どうぞご覧ください。
9月18日
一緒にキューバに行ったライターの田崎君が21日に戻って来る。彼のホームページを見ると、あのあと24時間の列車の旅が難儀だったようだ。今回撮影した写真は、最初、週刊現代に発表される。その後、NAVIに三回ぐらい掲載され、今年中にアミューズ出版より出版される。
今回のキューバの旅は、レンタカーで、キューバの西の果ての町、ピナールデル・リオから、東にある第ニの都市、サンチャゴ・デ・クーバまでを走り回った。オドメーターを見ると、約3000キロ走ったことになる。
田崎君がスペイン語が堪能だったので、さまざまな出会いがあった。なにせキューバの交通の軸に、ヒッチハイクが普通に存在しているので、クルマを運転していると、さまざまな人を乗せることになる。警察官を乗せたこともある。田崎君は、まだ現役のバックパッカーの匂いがあるので、僕のような世界中どこに行ってもクルマで移動するタイプとは違っていて、二人ともそれなりに今までと違った旅ができて良かったと思っている。ただ僕が全くスペイン語が分からないので、かえってキューバ人である彼等が、僕のことを、機嫌が悪いのではないかと心配したくらいだ。ああ、キューバ人て、日本人のように、他人を心配するんだなと、思った。客人を持てなすことが好きなようだった。僕もやっぱりスペイン語も、片言は学ぶ必要があるなと痛感した。
もっとも、写真を撮るうえには、僕にはあまり言葉は必要ない。言葉がわからないほうが、目で見ることに集中するので違うものが見えたりする。
9月11日の、貿易センターテロ。テロに対する一般的な感想は、省くとして、僕は見るという立場から、考えてみたい。誤解されることを厭わず書いてみる。
あの日、僕はNHKのプロジェクトX、姫路城を再建した話を見終わり、そのまま10時のニュースを見ていた。飛び込んできたのは、ツインタワーの一棟が、タワーリングインフェルノのように、火災を起こしていた。まだ情報ははっきりせず、でもどうやら航空機が衝突したもようだとのことだった。昔濃霧の日、やはりニューヨークのエンパイヤステートビルに軍用機が突っ込んだ話し、その一部が破壊された写真を思い出した。
ところが生中継の間、右がわら突然、一機の旅客機がもう一棟のビルに突っ込んだように見えた。それはビルの左側に、炎を吹き出し残骸がぱらぱらと落下していた。一瞬僕は、訳がわからず、リプレイでも見てるのだと思った。ニューヨークからの実況中継では、その映像に気がつかなかったのか、そのまま解説していた。しばらくしてニ機目の航空機が激突したことが確認され、これが事故ではなく、テロであることが発覚した。その後の様子は誰もが知るように、貿易センタービルの崩壊までに進むことになる。
最初、遠くから眺める、燃え盛る映像は、まるで映画のようにスペクタクルで美しかった。誤解しないで欲しい、映像としてだ。遠くから眺める限り、その中に人間がいることが想像できなかった。メディアも、窓に助けを求めて群がる人々のアップは、最初写さなかった。残酷だから?そして、あの劇的な破壊だ。あの瞬間、正直、ぼくは、その破壊のされかたが美しいと思った。ちょうど、スタリーキューブリック監督の「博士の異常の愛情」の映画の水爆が爆発する映像と同じように、「美」を感じてしまった。何に似ているかと言えば、美しい花火を見ることと同質だ。そこには、微細に見てゆくと、一人一人の生活する人間、ひとりひとりのささやかな人生を持った人間は見えない。
遠くから眺めると言うことは、他人事であり、どんな「悪」であっても「美」に見えてしまうことがある。映画の破壊場面は、そんな人間の感覚に潜む破壊の「美」を売り物にしている。いや殺人さえ、自分に関係なければ、楽しい娯楽だ。テレビゲームで何人の命のない人間を、毎日多くの人間が殺していることか。
正直、僕が何よりも驚いたことは、あのような大きな建造物が破壊される瞬間を、人類は初めて生中継で見たのだ。 これから映画の破壊シーン変わると思う。そうやってあの場面を見ていた人もいるはずだ。
カタルシスかもしれない。いや、単純にあの瞬間、あの場面を肉眼で見たひと以外、映像的な美を感じたと思う。
あの瞬間テレビは、なぜもっと部分を見せなかったのだろうか。あそこに人間がいることを見せなかったのか?窓に群がる人々の、表情を見せなかったのか?落下する人間を見せなかったのか?無惨だから?いや、絶対に、全体の映像が、茶の間で見るには、見栄えがよかったからではないだろうか。
ああ、テレビと言うメディアは、なんと悲劇を見せるには適していないメディアなのだな、と思った。テレビのよいドキュメンタリー番組もあるけれど、それは言葉と音を使って、感情の誘導をしているから、効果的な表現もできる。ただ、テレビは、映像を垂れ流している限り、想像力が湧きにくい。いや、例えば窓に群がる人々、落下する人々を、見せても一瞬のことで、永遠と見せることはない。見る側が、いろいろ想像する以前に画面が切り替わる。
僕は、その後、写真でこの事件を見た。写真はテレビから見る爆発の瞬間の迫力は伝わってこなかった。しかし、写真は、そこに人間が、生と死に対して切迫する人間たちが写っていたし、想像できた。家族の写真が至る所に張られ、その一枚一枚のポートレイトから、彼らの生と死を想像できた。写真はこういうふうに、人間ひとりひとりを想像させるには、適したメディアなんだと思えた。
ただ、写真もテレビのような映像も、遠くから見る景色に、人は写っていない。地球は宇宙から見ると、美しい緑色の惑星に見えるが、クローズアップで見れば、戦争や殺人や不正や、エトセトラ……。表面からは何も見えない。そこには見る側の想像力が必要だ。
今回のテロの、最初の場面、燃え盛る、ツインタワーが映画のように、「スゲー」と思ってしまった、僕の心と感情は何だったのだろう。
アフガニスタンを空爆すれば、マクロでは正義の報復でも、ミクロで見えれば、やはりそこには、人間ひとりひとりが、生死の淵に立っているという、想像力を、持てるのだろうか。
8月31日
今日キューバから帰ってきた。南米ライター?のT氏は9月20日ぐらいまでキューバとその周辺国に滞在しているようだ。彼のホームページhttp://www.liberdade.com/tazaki.htmlで今回の僕達の取材について書かれている。どうぞごらんください。
8月13日
またまた時間が空いてしまった。そして次書く予定は、9月になるかもしれない。というのは、17日から昨年も二度行ったキューバに行くからだ。今秋、アミューズブックスから、T氏と共著でキューバの本をだす予定にしている。このサイトでも何度もキューバのホームページを作るといいながら、未だ何もしていない状態だけれど、きっと先に本が出版されることになると思う。
T氏は、某有名なサッカーライターだ。ある一流出版社を、ノンフィクション作家になるために退社した、今どき珍しい馬力のある男だ。ぼくよりずっと若く、南米にとても強く、ポルトガル語、スペイン語を流暢に話すらしい?
彼も、キューバに興味をもっていたので、一緒に本を作ることにしたのだ。キューバ旅行中は、日記のようなものをつける予定なので、あとで写真入りで、紹介しようかな、なんてあまりあてにならない、ことを考えている。
7月31日
また一ケ月何も書かなかった。本当は書くことはいくらでもあるけれど、なかなか書く気分になれなかった。このところ数ヶ月そんな気分だ。それというのも今ちょっとまだ発表はできないけれど、長い原稿を書いているところで他のことを書く気分になれないのが理由だ。
今週のサンデー毎日で、三浦和義氏の妻良枝さんを撮影している。二人がそれぞれ別々に上梓した二冊の本、「NEVER」と「LOVER」の表紙を僕が撮影している関連だ。良枝さんの本は8月末の発売らしいが、三浦和義氏の本は発売された。
いわゆる三浦事件は冤罪か?という問いに本人の少年時代のおいたちがからが綴られている。この事件を覚えている人なら必読だ。
フォーカスが廃刊になり、日本のフォトジャーナリズムの一つの火が消える。フォーカスに関ってきた人間としても、僕は100%とフォーカスのやりかたを肯定するものではないが、全ての雑誌がコマーシャルなスタンスになってゆくことは恐ろしいと思う。巷に溢れるファッション誌を見ていると、こんなに物を買うことを煽っていて、本当に良いことなのかと心配になる。物が売れれば、景気がよくなり、皆元気になって幸福になる。でもそうやってバブルが崩壊したのではないだろうか。物を買えば買う程、もっと欲しくなる。そしてどんどん不幸になる。もうそろそろ日本人も、等身大の自分、いったいどういう生き方が自分にとってカンファタブル、幸福なのか自分の頭で考える必要があるのではないだろうか。
日本は恐い国だと思う。小泉の支持率が80%。それが一瞬だとしても、強制されずにその数字がはじき出されてしまうなんて、一種のファシズムだ。こわいこわい。きっと近隣の国も日本のそういう情緒的な面が、摩訶不思議に思えるのだろう。
6月28日
長いことサボっている。理由は色々あるのだけれど、ちょっとここに書き込むモードになっていない。実際書くことはいくらでもある。前回国会議事堂での撮影は、誰を撮ったか書かなかったが、モーニング娘を国会の前で撮ったのだ。ところが、撮影当日は、昼間はがんがんに晴れていたものの、しかも撮影開始時間が一時間遅れたため、みるみる空は暗くなり、数カット撮りはじめたら、豪雨になってしまった。ちょうどそれは、日本対オーストラリア戦横浜アリーナで行われた時と、殆ど同じ時間だ。まあ、それでも、ちょっと最初の予定どおりには、行かなかったが無事撮影は終了……。まあ、こういう事を毎日書いてたら、書くことはいくらでもあるけれど、あんまり書きたい心境ではない。ちなみにこの写真はサンデー毎日の、東京美女に載る。今週号は、菊川玲が載っている。月二回ぐらいのペースで連載されているので、ときどきチェックしてください。
6月6日
国会の敷地ないで、あるタレントを撮影する。それのロケハンを、月曜と、今日した。月曜日は外から。今日はフェンスの中から撮影した。何の撮影かは、こう御期待。ロケハンの写真だけを掲載する。
6月3日
土曜日に、N氏というハノイ在住のかたからメールがあった。僕の「サイゴンの昼下がり」を読んでいた方だ。偶然、5月5日のdaybydayにでてくるぼくの高校時代の同級生M氏と、スポーツ用品関係の仕事をしていたときの知り合い、ライバルでもあったそうだ。
その彼が、糸井重里氏のホームページ、ほぼ日刊で、TBSニュースの森のキャスター、松原耕二氏が、ロバート・キャパについて「キャパが最後に見た風景」と題して紹介していると、教えてくれた。僕も早速読んだ。ああ、同じことを考える人がいるんだなあと思ったのが素直な感想だ。ロバート・キャパがベトナムで死んだことを知っていて、ベトナムに行く機会があれば、その土地に行ってみたいと思うことは、自然なことだと思う。
そしてその印象も、結論も、同じような資料が元なので、さしてぼくと変わるものでもなかった。もっとも特定した場所は、僕の考えた場所とは違っているが、そんなことどちらでもよいことだろう。
ぼくは、ロバート・キャパ没50年周年の2004年5月25日までに、それについて、克明に調査して本を出そうと思っていたので、何か新しい発見があるかな、と思ったが僕の知っていること以外はなにも書いてなかった。まあ、よかったとも言える。
僕のこのホームページには、ロバート・キャパにつていの文章は、今まで紹介してなかった。「サイゴンの昼下がり」を読む人は、限られているので、この際本を買ってくれたかたには、申し訳ないが、一部抜粋して、転載することにした。WHAT'S NEWに紹介してあるのでごらんください。
それと、ほぼ日刊の松原氏のサイトはhttp://www.1101.com/watch/index.htmlです。
5月30日
昨日は、東大出身のタレント、菊川玲を撮影した。今年から、サンデー毎日の巻頭グラビア「東京美女」を何度か撮影していたが、来月からは月二回ぐらいのペースで連載することになった。こんかいは、菊川嬢の出身、駒場東大の敷地内や、周辺で撮影した。
そこにある駒場寮は、現在大学側が廃寮に決定しているが、学生達が反対している。確かに現在は荒れ放題になり、部活ぐらいにしかつかわれてない。現代的な尺度で考えれば、能率の悪い建築物かもしれないが、コンクリートの重厚な建物を直すやりかたもあるような気がした。最新の薄っぺらな建築物はぼくもあんまり好きではないし、その意匠に凝ると、他の建物とのバランスが取れなくなる。日本の建築って、街全体や、その敷地の調和を取ることはほとんど考えられてない。かつての古い建築物は、その素材から、建築の制作方法からも、自然と背景が調和するようにできている。石と、鉄と、木と、紙といった、自然の背景の素材と近いものから作られているからだろうか。
(駒場寮の写真)
5月29日 am0:45
今日の夜は、来月か再来月に、キューバに行く予定なので、その打ち合わせをかねて、NAVIの編集Y君と、ライターのT君と、家の近くのイタリアレストラン、オステリアボーノで食事をした。NAVIのY君は、連載している「Girls
in Motion」の担当だ。慶応出身の二枚目。ライターのT君は、かつて某小学館の週刊ポストの編集をしていたこのとのある、早稲田出身の、作家志望。僕は、昨年キューバに二度行き、すっかり、魅せられた。何に魅せられたかっていうと、皆とちょっと違うけれど、その入れ物。ハバナの町。
予定では、今秋にアミューズ出版より、T君と共著でだすつもり。この件に関しては、またいつか。
5月26日
またまた、FTTHブロードバンドについて。ISDNが64K、今計画されているNTTの光ケーブルが10メガ。なんとUSENの光ケーブルだと100M、それは全く次元の違う世界だ。実際普通のホームページだと、実用的には、東急ケーブルとの差はさほど感じなかった。もちろん圧倒的に早いのだけど、今日気が付いたのは、例えばFLASH
PLAYERのダウンロードが、瞬時でできることだ。きっともっといろいろやってみると、その凄さが分かるだろう。ところが、不満があるのは、BRODE
GATEという、100M対応のコンテンツがあるのだけど、今のところWINDOWSにしか対応していない。えーそんなこともっと早く言ってよと思った。でもIBMもあるので、僕は許すとして、結局100Mのスピードがあっても、それぞれのパソコンの速度以上にはならないという、自明のことも知った。あたりまえか。初期i-Macは、IBMから比べたら全然遅いし、もっと古いPowerMACは、もっと遅かった。まだ繋いでないけど、POWERBOOKは、きっとトロイに違いない。それでもケーブルよりは、早いけれど、もちろんISDNなどは、論外のスピードだ。人間とはなんともおそろしいもので、あっというまにこの速度になれてしまう。なんか、昨日繋いだ時の驚きは、もう失せてしまっている。なんたることか。まあ、でも所詮機械なのだから、速くDOWNLORDできたとか騒いでいるうちは、まだまだとうことかな。結局はコンテンツの問題というところ。
5月25日
pm11:00
ようやく、有線ブロードネットワークの接続が完了して、さっきパソコンの設定も二台やり終えた。一台は、IBMのノートパソコンtype2661.昨年の秋に買った始めてのwindowsだ。あのあとにすぐ、MACのG4ノートが発売されたり、今日の新聞にはibookの新しいやつが発表されていた。ちょっとしたタイミングで、WINDOWSを使いはじめて、それでも今では良かったと思っている。タイミングがタイミングだったら、一生windowsを使うこともなかったと思う。なんといってもデジタルカメラ用にコンパクトなノートは、昨年はMACにはなかったのだから。なんてことはどうでもいいけど、そのIBMと、初期iMACの2台だけ、設定し終えたところだ。実はランカードや、ランポートが100対応ではなく、いままでのは、使えなかったので、急きょBIG
CAMAERAまで、買いもとめにいったしだいだ。
感想は、まだ自分のホームページだけしか見てないが、たしかにめちゃめちゃ早い。今までだって東急のケーブルだったから遅いわけはない。まだ、日本全国ほとんどの方は、電話回線、ISDNなり、DSLなのだから、常時接続の今までだって、驚異的に早かった。ところが、100メガバイトのスピード、それも600CPUのIBMのスピードは、僕のホームページのような、画像と文の単純なサイトだと、ほとんどテレビのチャンネル状態で画像がでてくる。あんまりに早くて、なんかせかされているように感じてしまう。これでも700以上が推奨なので、ホントはもっとはやいのだろう。まずは、第一印象から。
pm3:00いままで、サーバーが東急ケーブルだったのが、今日からUSENの光ファイバー、ブロードバンドになる。今工事中で、まだ接続してないけれど、とても楽しみだ。接続終了後、いったいどんな世界なのかレポートする。
5月21日
またまたひさしぶりに書くことになった。いつも言い訳がましいけど、なにもしてなかったわけではなく、だんだんと巨大になるサイトを、少し整理することにしたのだ。改善点は、フレームを使って、見出しをいつも見えるようにしたこと。どこからでも次の場所にいけるようにした。ホントは、ホームページ制作ソフトをgoliveに変えてからやろうと思っていたが、それを勉強しているうちに、今使っているPAGEMILLでも、このぐらいできるなとか、思い出し、面倒臭くて結局、本当にpagemillでサイトの手直しをしてしまった。
最近JPドメインを取ったので、そちらを動かす時に、goliveを使用しようと思っている。
そこでは、ちょっとプランがあって、ほぼ毎日、デジタルカメラで撮影した身の回りを、写真日記ふうにアップロードしようかと思っている。ほんとうにそんかことができるかわからないけど、今のところプラントして。
2001年5月5日
今日は子供の日。昼に三島から戻ってきた。連休中三島と伊東の親戚にいた。戻ったら新潮社から書籍郵便が届いていた。中には「サイゴンの昼下がり」が一冊。やっとのことで、増刷されたその一冊が今日送られてきたのだ。発売は5月1日。値段が以前の2700円から、3000円に値上げされていた。そんなことってあるんだ。なんかヘンな気分だ。写真の本は印刷代のコストが文章だけとは違いかなりかさむ。それが増刷などの場合にネックになる。タレントの写真集だったら数カ月で売りきり、時間をかけて増刷することはない。しかし、この本のようなものだと長い時間をかけて増刷してゆくのが理想だけど、印刷コストの問題がネックになる。そんな理由で増刷が難しいらしい。これだけ時間があいたのに増刷されたのは、新潮社では珍しい例だという。まだご覧になってないかたは是非この機会に手に取って下さい。
今日は、高校の友人のM君からながながしいメールをもらった。内容は彼の個人的な近況だったが、そこに興味ぶかい一文があった。それは、「お茶の水にある教会…」といった文面だった。
……あれ、その教会、僕もいったことがあると。
記憶のなかでは、ブラスバンドずけの高校生活だと思っていた僕だけど、そういえば教会に通ったこともあったんだ。そんな記憶が漠然とながら浮かびあがってきた。いったいどこにそんな時間があったのか覚えてないが、それを誘ったのが、M君ではないだろうか。彼は、一年くらいまえ僕のホームページを偶然みて、コンタクトしてきた高校時代の級友だ。彼の顔をハッキリと覚えていたし、なぜか印象が深かった。何せ僕はクラスメイトのことは、ほとんど覚えていなかったのだから、メールのM君から僕を覚えているって聞かれた時、不思議な程よく覚えていたのは、そうかって納得できた。親友とかそういうのではなく、きっと短い時間ながら気があったのだと思う。
僕は最初は宣教師がアメリカ人夫婦だったせいもあり、新約聖書が英語との対訳だったりと、英会話がきっかけでもあり、日曜のたびになんども通ったが、実はキリスト教に関して深い関係が僕にはあった。そこに行く前からかなりの賛美歌をしっていた。
それは、小学校に入る前、僕の生まれた市川の国府台にあった幼稚園、保育園のことだ。時代は1950年代、昭和30年前後のことだけど、太平洋戦争敗戦のあと、占領軍だったアメリカの、ある宣教師が経営する、キンダーガーデンとナースリーだった。その園長は、白髪のアメリカ慈善家女性パーラス先生だった。
そして江戸川の土手に面したツツジに覆われた小高い丘にの上にそれはあった。その外観は2階建て木造で、まあ普通の小学校の教室ぐらいの広さがいくつかあり、でもつくりは、質素ながら西洋式のつくりだった、二階は一部そこで働く先生達の宿舎になっており、建物そのもののは、当時としては珍しいものではなかったと思う。
しかし中においてある玩具が完全にアメリカ製だった。木の樽や、いろいろなものがすべて大きく、当時の日本にはどこにもないものばかりだった。そんなこと何もまだ知らない幼児であったぼくには、知る由もないが。
別段そこにいてキリスト教を感じたわけではない。いや実際クリスマス以外はまったくなにごともないかったかのように過ぎるのだ。いやいやあまりに子供過ぎて何も知らなかったのかも知れないが、そのクリスマスは、その後ぼくの経験するどのクリスマスよりも本格的なクリスマスだった。
クリスマスが近ずくと、歌の練習やら、父兄もかりだされ、なにやら慌ただしくなる。西洋式の上下させる、大きな全ての窓にはそれに見合う大きなリースが飾られ、壁には天使や星や羊飼いの切り絵がちりばめられている。大きなクリスマスツリーの下にはプレゼントの箱。
そして何よりも、その後に知る日本のクリスマスと違うのは、キリストの降誕劇を、園児たちで演じることだ。頭にターバンを巻き、腰には母親スカートを直した衣装。
マリアとヨセフ、三賢人(ワイズマン)羊飼い。など総勢15人ぐらいの劇形式だ。
僕はナースリーの時にヨセフを演じ、といってもキリスト抱くマリア様の前でたっているだけだけど。
キンダーガーデンの時に、賢人、博士、を演じた。それにはちゃんと台詞があり、僕は「私は乳香をさしあげます」というのだった。その写真は今でも残っていて、そのうちこのホームページでも紹介しようと思っている。あの時代、今からくらべるととても質素だったかもしれないが、なんだかとても優雅で、豊かだったようにも思えてくる。
僕がそのとき見ていた風景は、僕の全ての原風景になっているといっても過言でない。その園の庭から見下ろす江戸川には、たんたんと音をとどろかせ、ゆききする土砂を運ぶぽんぽん蒸気?(焼き玉エンジンの小舟)、そんな音が今でも記憶に強く残っている。
このへんのことは、そのうちちゃんとした文章にまとめようと思っている。
4月21日
今月号のNAVI(25日発売)で、広島の特集をしている。ぼくも何ページか撮影している。別に広島の町の特集と言うわけではなく、いまあまり元気のない自動車会社、MAZDAの応援特集だ。リストラのために、早期退職者を募集したら、大挙優秀な社員が応募したらしい。
僕は以前、MAZDAの車の広告をやっていたことがあり、こちらのスタジオで何日間も缶詰になったことがあった。バブル絶頂のころだ。昼間スタジオで撮影して、夜の街にくり出すが、遅くなると街は死んだように静かだった。景気がよいときでさえそうだったので、不況の今は広島はどんなふうなのかな、と興味しんしんだった。
なによりも驚いたのはの、街ではなく、MAZDAの工場そのものだった。広島の町の海岸線の半分以上はMAZDAの敷地だった。フェンスのなかのそこは、一つの大きな街になっていて、工場を結ぶ橋がいくつも架けられていた。内陸にある工場と違い、ここでは生産すると、すぐ隣で、国内や海外に搬送できるしくみになっている。自動社メーカーとしては、ある意味地の利があるような気がした。そしてその広大な敷地にたつと、まるでそれは独立した、社会、フェンスの外側のルールとは、違ったものがあるような気がしてくる。大袈裟にいえば、外のことなんて、なんにも知らずに生きることも可能なような気さえしてきた。ぼくはサラリーマンになったことはないが、組織のなかで働くとは、フェンスのなかで、働くことなんだなと思えた。


4月20日
最近のトピックスは、三浦和義夫妻を撮影したことだ。三浦和義氏は、いわゆるロス疑惑の中心人物だ。彼についてのことは、彼のホームページを参照してほしい。ある雑誌で、三浦夫妻が畑仕事をしているとのことで、撮影することになった。東京から一時間あまり、海が見える山の山頂付近にささやかな畑があった。そこで、今年の冬からせっせと野菜を育てている。今、きぬさやや、ダイコンなどと種類は少ないが、これから随時ふやしてゆくらしい。もっともほとんどの作業は良枝さんがやっている。三浦さんは今充電期間中だ。これからの活動が注目されている。(FOCUS に使用した写真2001/17号新潮社)

4月19日
am1:00 何だか本当に、ここを書きこむことに熱心ではなくなっている。仕事や、日常でもいろんなことがあって、ねたにはことかかないのだけれど、別にここで日常を紹介するつもりは、最初からなかったから、かといって理屈ぽいことをならべてもなんだし、理由はわかんないけど、カウンターを見るとだいぶ訪れてくれる人が増えたのに、カフェテラスに書き込むひとが減ったと思う。ちょうど僕の仕事の紹介を始めてからだ。それが関係あるか、わからないけど、書き込みにくい雰囲気になっているのかな。なんでもいいので、書き込んでくれると嬉しいです。
4月6日
ひさしぶりに書く。このところサボっていたわけではなく、以前に来たことがあるかたはこのサイトが刻々と変わっていることを、御存じだと思うけど、かなり大幅にレイアウトを変更している。
ただ、それが以前宣言したように、GoLiveをいまだつかわず、あいかわらず初歩的なPAGEMILLでつくっているところが、みそだ。このサイトはできるだけ読みやすく、見やすくすることを重要視している。かっこよくても見やすくないのは僕が嫌いだからだ。ぼくは結構面倒くさがりやなので、面倒臭いレイアウトだと、すぐに見るのを止めてします。そんな気の短い僕でも見れるようなサイトにしたいと思っている。軽く作るのが大切なことには違いないが、この数年でこのサイトぐらいだったら、まったくストレスなく見れるようになると思う。このあたりでは、有線の光ケーブルが利用できるようにじきになるので、すると100メガバイトの容量だ。現在は東急ケーブルの常時接続だけど、それとは桁違いに早い回線になる。いまでも決して遅くなく、ケーブルのスピードを知らない人は家に来ると驚くけど、100メガバイトの世界は、東京では今年中、日本全体でも2、3年でどこでも利用できるようになる。そうなると、ちょっとやそっとの重いサイトでも、誰もが見れるようになるので、そのときこそがインターネット世界の始り、いうなればブロードバンドになるのだと思う。今みたいな状態はだから過渡的だと思う。ただ、いくら早くなっても、僕はシンプルな構成でありたいと思っている。雑誌なども、シンプルなレイアウトが好きだし、こったことやるなら、ウエッブサイトを凝るのではなく、そのなかのコンテンツ、作品は凝りたいと思っている。個人的な好みで言うと、音がついているサイトが嫌いだ。音楽が好きだけど、聞きたくない時に音は不要だ。等々、また書く。
3月25日
今月は、CREATER-CHANNELのほうのアップロードに忙しく、日記を書く暇がなかった。そちらのほうもどうぞご覧ください。c-channel。イギリスとか、沖縄とか、こちらにしか紹介してな写真が載ってます。
3月2日
何日も書いてなかったけれど、サイトの手直しというか、いろいろやっていて、書けなかった。What'sNewでも紹介しているけど、「サイゴンの昼下がり」の表紙の写真が、ANAのポスターになっていて何人かの友人から地下鉄の駅でみたと言ってきた。かつての、広告全盛期には、なんども駅ばりになったことがあったので(一時期ぼくは広告をメインに仕事をしてたこともある)別に駅ばりされているからってさわぐことじゃなかったけれど、思い返せばフリーになって数年後、コーセー化粧品のキャンペーンをやったとき、いろいろな駅のそこら中に、B全やB倍のぼくが撮ったポスターが貼られた時は正直嬉しかった。
今回もB倍ポスターはひさしぶりだし、しかもあの写真は、広告のためにとったわけではない、僕の特別な写真だったので、なおさら感慨ぶかい。
僕は、日常クルマ生活なので、めったに地下鉄に乗らない。家から歩いて2分のところに駅があるのにだ。2歳の娘なんか、まだ一度も地下鉄に乗ったことがない。
今度の日曜日に、ハイキングのように駅に貼られたポスターを見に、そしてデジカメで撮影しようなかなって思っている。
2月14日
今持っている、携帯電話のアンテナが折れてしまった。もう2年以上まえからも持っているsonyのジョグダイヤル式のドコモだけど、もうかなりオールドファッションといったところだ。あんまり、携帯のメールに興味がないので、i-modeに買い替える気にはなれない。wifeはいつも一番あたらしいドコモを買うので、次世代がでたら、お古として彼女の携帯をもらおうかなと思っている。だいたい新しい電話の説明書を読む気がおきないのだ。wifeのは、機種は覚えていないが、半年ぐらい前のカラーのimodeだから、それは立派なものだ。それをゆずってもらえば必要なことだけ、聞けば使える。
ところで、次世代携帯が世の中をますます、住みずらくするのではないかと、ちょっと恐れている。カメラつき、録音つきの携帯って、それじゃ盗撮、盗聴マシーンになってしまうのではないかと。
たとえば、故意に友人の家に忘れたふりをして音や映像をとったりと、いやたとえば、レストランで食事する有名人を、ホームページに実況生中継だって可能だ。
そうなると、一億総スパイにもなりかねない。
だから新しい商売としては、妨害電波をだし、携帯を使用できなくする装置が発明されるだろう。一流レストランは、どこもそのような装置がつくに違いない。今のうちに開発して特許をとればすごいことになるかも。そのまえに入口で携帯をチェックされ、凶器のよう持ち込み不可になるかもしれない。携帯の電波探査機のようなものが、売り出されるかもしれない。それも新商売だ。
携帯電話のように、文明の利器として、生活を便利にするような気がするが、実際は人間の社会生活を、切迫させる道具になる可能性もある。
本当に携帯電話って必要なものだろうか。これからはたばこを吸わない人のように、携帯を持たない、使わない人間がでてきても不思議ではない。
かつて、ぼくの父親の世代のころ、家庭には電話もなかった。緊急の用件は電報か、近くのお店の電話を借りるといった、不便な時代だった。新聞記者だった父親は毎晩遅く、正確に何時に帰るかは、母親は知らなかった。知るすべもなかった。まさか、今日は12時に帰るって、電報打つわけにもいかないから。そのうえ突発的な事件があれば帰ってこないこともあった。そう言う時代、母は、母の世代は、待つことにさほど、イライラしなかったはずだ。電報がない限りたいした問題が起きているわけがなかったのだから。ぼくが小学校低学年の時に、家に電話が着いた。近所でいちばん早かった。それでも父親は帰る時間を電話してくることはなかった。それで良かった時代だ。男が自由だった時代だったかもしれない。
今の時代、家族は24時間監視されているようなものだ。良い面もあるけど、かえってイライラすることもある。待つ方だって、安心することもあるが、何で連絡してこないのって、あらたなイライラや、邪推を呼ぶ。
かつてのゆったりとした時間、例えば待つといったことさえ、のんびりとした時代と違い、今は待つことに愉しみはない。待たされるとイライラする。
どちらが健康的か。
ぼくの友人が結婚した時、まだ携帯の時代じゃないけど、仕事から帰る時にぜったいこれから帰るって電話をしないといっていた。それが主義だと。もし特別早く帰る時には電話するけどって。はあ、そういうやりかたもあるのかと感心した。
家族だって、夫婦だって、恋人どうしだって、誰だって、プライバシーは必要だと思う。
大袈裟に、国家にプライバシーを侵害されるといわれるまえに、我々のプライバシーはますますなくなっている。これからの成長産業はプライバシー保護産業かもしれない。
2月6日
先日後輩でもある写真家の五味彬君が事務所にきた。数日間、CanonD30を貸していたので、その返却のためだ。彼とはさいきんちょくちょくあっている。ぼくのデジタルの先生というところだ。きたついでに、toppageをflashにしてもらった。ほんの15分ぐらいでできあがりだ。もっとアップロードがうまくゆかず、それに1時間以上かかったけれど。彼に、ぼくのもっているドメイン、photojapon.comのデザインをしてもらうつもりだ。日本の写真の発信源になるとよいと思っている。
2月1日 am12:00 1月がおわり、2月だ。2001年ももう12分の1が終わってしまった。ずっと書いていなかったが、遊んでいたわけではなく、ホームページの大修理をしていたのだ。といってもあいかわらず、ホームページ制作ソフトはpagemillをつかっている。goliveの勉強は中断だ。それというのも、レイアウトを直すのに、やっぱり簡単なソフトって、楽でいいし、それに写真をたくさん入れるが忙しく、新しいソフトの勉強をするきになれないのだ。
worksというサイトをつくった。今まであまり、直接仕事に関係することは、さけてきた。でもやっぱり少しは紹介しようかなって、思えてきた。それに今考えているのは、非公開のサイトもつくろうかなと思っている。タレントの肖像権の問題もあるし、すこし大きめの写真も見せたいとの思いもある。氏名連絡先等登録できるひとには、アドレスを教えるっていうのもいいかなって思っている。もちろん無料だけど。
ちょっと嬉しいニュースとしては、「サイゴンの昼下がり」が増刷されることになった。4月すぎになるらしいけど。今ぼくの手許には見本用の一冊しかなく、何人かの人が、サイン本を希望しているけど、ちょっと待ってもらっている。それも解決されそう。
去年、今年のはじめにベトナムの写真展をやると書いたけど、まだ実現していない。でも、今年中には是非やりたいと思っている。わすれているわけじゃない。
[NEXT]