VOL.3

●5月25日(火) 

ロバート・キャパ最期の日 「水牛作戦」

朝、7時、ナムディン、↑モダンホテルを出発。

フービの船着場から紅河をわたる。

8時ごろ下の写真をジープから撮る。

ヴィエット・フン、

上のキャパの撮った、5月25日の朝8時ごろの写真は、いったいどこで撮ったのだろうか、

というのがずっと疑問だった。

なにしろ、ナムディンからタイビンはほぼ東ある。光はその時間真逆光だ。

しかも左側に堤防。日傘をさす老人(女性ではない、位の高い老人の服装だ。

たぶん軍事だ)の後ろに、要塞が見えている。光の方向と、左側の堤防、そして要塞。

走り回って見つけたところがこの場所だ。下の写真の、今防風林があるあたりから、

電柱までに軍用の道があった想像できる。

このあたりは、農民や民間人は当時は入れなかったという。老人が要塞のすぐいる理由もうなずける。

233号、タイビン、39号

先頭が攻撃を受け立ち往生する。農民たちは何事もなかったかのように仕事をしている

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ブークイ-(ドンキトン)

橋を落とされ、復旧するのに数時間かかる。

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ガイ-(ドアイタン) ここで撮ったPhoto

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キエンスオン(タンネ) 

Capaが最後に撮ったモノクロ写真 この直後にカラー写真を撮る。

タンネの町に入ったところで地雷を踏む。午後3時


遺体、ナムディンからハノイまで移送される。

☆伝記では、いやその元ネタであるライフ誌の記者ジョンメクリンは、

ナムディンからC47輸送機でハノイまで搬送されたとライフにかいてあるが、

調査の結果、ナムディンの飛行場はC47は、狭すぎるとのことだった。

上記のモラン型の飛行機しか離着陸できなとのことだ。

キャパの残された記録フィルムには、ヘリで搬送される様子が残っている。

その場所は、フーリーの飛行場だ。



●5月26日(水)日本のメディアにキャパの死が載る。

●5月31日 ライフ誌、ルアンプラバンの記事が載る(日本時間6月1日)

●6月1日  毎日新聞夕刊にてキャパの撮影した写真が載る1

6月2日   毎日新聞夕刊にてキャパ その2

6月3日  毎日新聞夕刊にてキャパ  その3

6月4日

6月5日   毎日新聞夕刊にてキャパの4


1998年6月 横木安良夫 キャパ最期の土地を求めて、ナムディン、タイビンに行く。

残念ながら、見つからなかった。


2004年3月 横木安良夫 ド・クォック・チュウ氏と探し発見。


2004年5月25日 ベトナム写真家協会関係者と地元の市民、

合わせてキャパ没50年の慰霊祭をする。


2004年9月 東京書籍より「ロバート・キャパ最期の日」出版


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